こんにちは。橘徹です。暑い日の続く季節になりましたね。
テレビでは連日甲子園の中継が放映されています。私も高校球児として甲子園を目指して日々白球を追いかけていました。
高校野球はプロ野球に比べてミスが出たり、スピードが遅かったりと未完成である部分もありますが、全力でプレーする姿は見ている人たちに生きる勇気・感動を与えますよね。
私は高校野球から技術や戦術以上に「人としてどうあるべきか」ということを学びました。今日は人間としての「在り方」について振り返ってみようと思います。
挨拶
まず「挨拶ができる人」というだけでも、立派に評価できるものです。
会社に朝出社して「おはようございます」と声を低く言うのか、それとも明るく声を上げて言うのか。自ら進んで笑顔でできるかどうか。
この小さな気遣いが、単なる義務的な挨拶なのか、相手のためにする挨拶なのかを分けます。
そして、その挨拶一つが会社全体の士気を高めることもあれば、逆に「この人とは一緒に仕事したくない」と思わせてしまうこともあります。
人間関係の質を高める一番の土台は挨拶です。しかし、この挨拶がきちんとできない人が、今の世の中には意外と多いのです。
礼儀と全力プレーの大切さ
体育会系というと、最近はあまり良い印象を持たれないかもしれません。
いわゆる「根性論」を指す体育会ではなく、本来の体育会は「礼儀」や「在り方」を大切にするものだと私は思っています。
例えば全力プレー。内野ゴロで99%アウトになるとわかっていても、残り1%の可能性がある限りは、最後の最後まで全力疾走する。
この姿勢が相手のミスを誘い、チームを鼓舞し、観客に「応援したい」と思わせるチームになります。
全力を尽くす姿勢がなければ、相手は脅威を感じませんし、観客も心を動かされません。
この全力は試合だけでなく、日々の練習から始まります。
一生懸命努力している姿を見れば、仲間も「勝たせたい」と思い、練習を手伝ったり、アドバイスをくれたり、良い連鎖が生まれます。
逆に、練習中にだらけたり、不平不満ばかり言う人に、いざという苦しい場面で手を差し伸べてくれる仲間は少ないでしょう。
人としての在り方が、厳しい場面での結果を左右するものなのです。
道具を大切にする心
もう一つ大切なのは「道具を大切にする」ということです。
グローブ、バット、スパイク…野球は道具と共に行うスポーツですが、道具を粗末にする人は一流にはなれません。
この姿勢は社会に出ても同じです。会社の備品を自分の物のように大切に扱うか、それとも雑に扱うか。これを見た周りの社員やお客様は、「信頼できる人だ」と思うのか、「残念な人だ」と思うのか、すぐに分かります。
感謝の心が人を育てる
そして忘れてはいけないのが「感謝の姿勢」です。グラウンドで野球ができるのは、決して自分だけの力ではありません。
親が、送迎やお弁当作り、洗濯など、日々の生活を全力で支えてくれています。
歴代のOBの方々は、物資やグラウンド整備、OB会による支援など、長年にわたってチームを支えてきました。
監督や先生の方々は、自分のプライベートの時間を削り、命とも言える時間を選手のために費やしてくれています。
さらには多くの人々が陰ながら応援してくれているのです。
そうした支えがあるからこそ、「その期待に応えよう」という原動力が生まれます。
この人たちの思いを裏切るようなプレーをしてしまえば、応援は得られません。自分一人のために戦う選手と、多くの人のために戦う選手とでは、モチベーションも結果も大きく変わります。
「応援される人」になる
多くの人から愛され、応援される人に育つ。
これこそが、高校野球を通して私が学んだ最も大切なことです。
そしてこの精神は、経営者としての私自身の目標にもつながっています。
お客様、社員、地域社会から「応援したい」と思われるような経営者でありたい。
そう強く思います。
高校野球という国民的スポーツの魅力は、まさに「応援される球児の姿」にあるのではないでしょうか。
そして、そこから得た学びは、今の私の生き方や仕事の姿勢にも深く息づいています。